癇癪

「くさっ」


「くさっ」



お風呂上がりの妻の一言がはじまる。


文句、クレーム。


私に聞こえるように、ずっと言う。


バスタオルが臭いこと。


昨日も言われた。
手洗いをしろ。洗剤はどうだ。ケチるな。入れすぎるな。漂白剤は。柔軟剤は。洗濯物を入れすぎるな。干し方はどうだ。

これが始まる。

基本、状況を確定させなければ気が済まない人だ。
なんでだろう、なんでかは分からないけど、こうやってみたら?とかこうやってみて。は無い。

物事をどうやっても絞り込みたいらしい。そのためには相手のことを否定もするし、考えも話させない。いや、自分の意向に反することは話させないというのが正しい。

それでも、こういう洗い方をして、干した時間がこうだからこうなると思う。だからこうなってるんじゃないか。と私なりの考えを話す。

しかし、妻にとっては言い訳。
言い訳をするなと言われる。
その過程で思いやりも、やってもらってることへの感謝も、ない。

言われたことは原因として消せるものだ。だから私も消せるように努力する。

臭いと言われたバスタオル4枚。

毎日9kg容量の洗濯機で3回の洗濯をする。

我が家は通年室内干しで、この時期は湿度も高く中々乾かない。浴室乾燥機を使ったりもするが毎日となると電気代が凄いことになる。

ここぞというところでは使うが家計のことを考えると毎日は中々難しい。

そういった中でバスタオル4枚を、こうも簡単に、「臭い」の一言だけで洗濯カゴに投げ込まれるのはかなりきつい。

洗濯、料理、掃除、子どもの運動、子どもの学習、そして妻のサポート…

たかが5分の仕事でしょ、これぐらいならやれるでしょ。と言われている気分になることは多い。
そんなことは言ってない、と妻は言うだろう。それぐらいは余裕でできる人だ。自分の保身は完璧。

過去にLINEを通してした約束をずっととっておいていて、条件、環境が変わっても何があってもその約束は守らなくてはならない。

守るべきなのは理解はしている。しかし、やりたくても、そうもいかないことだってある。

寄り添いもせず、感謝もなく、配慮もなく、私は家政婦なのか奴隷なのかわからない。

それなら出てってもらって構わない、とか、私が出て行くという。

私は鬱かなにかの病気になっているのかもしれない。
あらゆるネガティブなことを毎度妻に言われ、私は自分を信じれず、自信がなく、なにか新しくやれる自信がなくなってしまった。

この環境からお前がいなくなっても、お前が幸せになることは絶対にない。
これを何度言われたか分からないが、このセリフは私の体を重くさせている。

自由になりたい。けど自由になれる自信も勇気も無くなってしまった。

このままがいい。のか、このままでいい。のか。

なにか変化が起こるぐらいならと、なにかことが起こるたびに私がやります、負担します。
すみませんでした。約束します。

そして、また何か事が起こる。
約束は増えていくし、やることも増え余裕もなくなる。

受ける暴言は増えるし、やって当たり前という事が増えていく。

という悪循環に陥る。

頑固、癇癪、意地。全部やめろと言ってくるけど、全部そっくりそのまま妻に返したい。

少しでも意見が異なれば怒る。相手に意見を話させないし、意地でも意見は曲げない。

相手にダメ出しして言ってくることは、妻が全てフルコースでやっていること。

もう限界です。